ランチア・ストラトスに
ぞっこんな約二名のために(笑)
という訳じゃないですが、個人的な覚書の意味も込めて、ストラトスについてまとめてみようと思います。
以下は古谷徹氏の声を脳内アテレコして読むといいかも。
ストラトスを初めて見た人は、
とてもこの車がラリーを走るために生まれてきた車だとは思えないだろう。
全高わずか840mm、「ストラトス=成層圏」の名に負けを感じさせない
ウェッジシェイプのエクステリアを纏ったこの車は
どう見ても、ターマック(舗装路)を駆け抜けるスプリンターのいでたちである。
この特徴的なデザインの生みの親は、
当時ベルトーネ(イタリアのカロッツェリア)のチーフデザイナーを務めていた、
マルチェロ・ガンディーニである。
当時のラリーカーといえば、アルピーヌA110やポルシェ911、
あるいはミニ・クーパーなどが主流であり、
市販車をラリー仕様に仕立てて出場するというのが普通であった。
しかし、ストラトスはこの流れを根底から覆して見せたのだ。
ワールドラリーでの栄光のためだけに生まれた、
革命的なパーパスビルドマシンとしてストラトスは生まれたのである。
リアミッドに搭載されるパワーユニットに選ばれたのは、
ランチアと同じフィアットグループに属している、
フェラーリの246ディノGT/GTSに積まれていた2418ccの排気量を持つ、
バンク角65度のV型6気筒,DOHCエンジンであった。
グループ4規定を満たす400台だけ市販車が生産され、
1974年、グループ4のホモロゲーションを取得したストラトスは、
サンドロ・ムナーリをエースドライバーにむかえ
ランチアにメイクスタイトルをもたらし、
さらに、75年、76年と3年間、他メーカーにメイクスタイトルを譲ることはなかったのである。
77年からは、親会社のフィアットが131アバルトで参戦するということで、
131アバルトの後押しをしなければならなくなってしまう。
つまり、速くても勝つことが許されなかったのである。
この年でランチアはワークス活動を休止するが、
78年はピレリカラーを纏ったストラトスが、
ランチアのセミ・ワークスカーとして戦っている。
また、サーキットレースにおいても、
グループ5(いわゆるシルエットフォーミュラ)規定に合わせて仕立てられた
ストラトスターボが参戦していた。
2180mmとホイールベースが短く、
一名乗車時で39.7:60.3というリアよりの重量配分、
横置きにマウントされたエンジンなどとあいまって、ハンドリングはトリッキーで
ドライバビリティに優れているはとてもいえないものであったようだ。